教育や子育ての文脈でめちゃくちゃよく聞く最高に矛盾した言葉に「主体的に”させたい”」とか「自立”させる”」というものがあります。
「させる」時点で、主体的でも自立でもないんですが…^^;
そしてさらに要注意なのは、そういう「主体的」や「自立」という言葉を使う大人が、子どもたちに自らしてほしいと思っているのは、大人が良いと思うことだけなのです。
例えば、勉強とか家の手伝いのような。
それ以外のことを子どもが主体的にやっていても、「それは今はいいから」「時間のムダ」などと言っちゃうわけです。
主体性という言葉はまんじぇでも使いますが、都合よく使われやすい言葉なんですね。
根本のところで大切なのは、自分が「自分の人生の主人公である」と思っているかどうかだと思います。
自分の行動が誰か(大人、親、先生…)に決められて、それに従っている状態だったり、周りの人に合わせないと仲間はずれにされるような不安がある環境だったりでは、自分の人生の主人公は自分だとは思えません。それでは主体性も何もありません。
自分のことは自分で決めることができる、他者との違いを日常レベルで認め合える、そんなまんじぇの環境は、自分を自分の人生の主人公にし、本当の意味での主体性や自立につながる可能性を持っていると思っています。