自己決定と自信

「自己決定と自信」


写真家の幡野広志さんへの相談を読んで、ああ、この人はちょっと極端かもしれないけれど、同じような感覚を持つ人はきっとたくさんいるんだろうなあと思いました。少し短く抜粋させてもらうとこんな感じです。
(以下抜粋)

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

理系大学院の修士1年。就職活動をしているけれど、自分のやりたいことがわからない。

自己分析したら自分の価値基準は全て他人に任せていると分かった。自分で何かを決めたことがない、やりたいものがない。今までの人生を振り返ってみても、自分の意志でこれをやりたいと決めたことはひとつもない。

 

大学も、高校の担任に「受かる確率は低いしけど受けてみたら?」と言われ、受験した結果、受かってしまい、自分の学力よりもだいぶいいところに進学した。浪人してでも志望する大学に入りたいと頑張ってる人もいるのに、こんな志望動機もあまりない私みたいな人間が受かってもいいのかと悩んだ。

 

小学4年から大学4年まで続けたスポーツも、親から運動部を勧めらて、父がやっていた競技した。父が喜んでくれるだろうと考えたのだと思う。辛くても、辞める勇気がなく、親に「何かひとつのことを続けるというのは大事なことだ」と教えられたこともあってダラダラと続けた。主将を任せられたこともあったが、なにか結果を残せたわけでもなく、あまりいい思い出はない。

 

意思決定をした経験もなければ、それによる成功経験もないので、基本的に自分に自信がない。まわりの人の判断基準でここまできてしまったので、自分自身の判断基準というものが存在しない。やりたい・やりたくない、好き・嫌いの価値基準も自分はあまりよくわかってないのではないかと思う。

 

「あなたは何をしたいの?」と聞かれても「どうやって決めたらいいのかわからない、何かをしたいってなに??」というかんじ。(23歳 女性)

 

(抜粋はここまで)

 

元のブログはこちら

(https://cakes.mu/posts/28771?fbclid=IwAR0ELXE3ksTHgz-7PFox3radAIr2FUAZphc-FL0NkgQfYjSpoNnqg_Kv_Ow)

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

おそらく、周りから見たら、この方は文武両道で、そこそこの「成功者」に見えるのではないでしょうか?親から見ても、「親の言うことを聞く良い子」だったのではないかと想像します。でも、ご本人の感覚では「中身は空っぽ」といったところですね。そして、そうなってしまった原因は、「自分で決めてこなかった」ことのようです。

 

この人は生まれつきそういう性格だったのでしょうか?おそらく、そうではないと思います。多くの子と同じように「自分でする~!」という時期があったでしょうし、あれやりたい、これやりたい、というものはあったはずです。そして、親にしても先生にしても、それはたぶん「失敗しないように」「よりよい人生を歩めるように」という善意からだったのでしょうけれど、「それよりも、これをしたら?」「こっちのがいいと思うよ。」と誘導してきたのでしょう。その誘導がうまかったのか、この人が素直な性格だったのか、またその両方か、大きく逆らったりすることなく来た結果が今なのでしょう。

 

そして、そこそこうまくいってしまったことが皮肉なことに、さらに災いしていると思います。うまくいかないことでもあれば「やっぱりお母さんのいう通りにはしない!」となったかもしれないですけど、うまくいってしまったので「ほらね、お父さんのいうとおりだっただろう?」のようなことになり、ますます他者に判断を任せるのが安心、ということになったのでしょう。

 

私はこれまでの経験から、「自分で決めること」は、ときにはその「決めた内容」よりも大事なくらい重要なことだと思います。自分の人生は自分のものだという感覚、自分の意思が大切にされている感じ、そして自分が選んだことだからこそ、その結果も自分のものになるのです。うまくいけばもちろん自己肯定感が上がりますけど、例えうまくいかなくても、それが自分の選択の結果なのであれば、その先のための「学び」でしかないのです。(他者が評価することでもありません。自然に学ぶでしょう。)

 

 

それはなにも大きい決断だけではなく、その日にどの靴下をはくか?宿題をいつするのか?(しないのか?)いつ寝るのか?そういう小さい決断の積み重ねなんじゃないかと思います。